皆さんは、日本において梱包がどのような歴史をたどってきたかご存じでしょうか?

素材の変化は技術の向上、歴史的ニーズの変化と直結しているのです。

それでは早速、梱包材の変遷を歴史的変化ととも見ていきましょう。

今回は、[縄文時代から開国までの「包む」の変遷] をお伝えします。

目次

各時代での「梱包・運搬」

~縄文時代

 

基本的には狩猟による自給自足生活を行っていました。現在のように人々が集まって同じ場所にとどまって生活をするのではなく、獲物を追って少数人で拠点を転々としながら生活していたとされています。

 

よって、運搬するものは必要最低限の武器原料、装身具、食料のみです。基本的には上記のものを縄で縛って運搬していたと考えられています。

縄文・弥生時代

 

大陸から稲作が伝わったことにより、拠点を転々とする狩猟生活から、農耕による定住がはじまりました。これにより、現在でいう「バックパッカー」のような生活は終了し、生活必需品は常に家や集落に置いておけばよくなりました。

 

よって、青銅器、装飾品、鉄、食料、土器などの生活必需品以外のものを運搬する機会が出始めました。

古墳時代

 

古墳時代になると権力構造がより明確化し、国の政治経済体制が整ってきました。

 

これにより、古墳や建造物の建設、インフラ整備のための物資を運ぶ必要が出始めました。つまり、建設用の資材のみならず、人員動員に伴う食料の運搬が必要になります。食料を大量に運ぶ梱包技術が発達し始めました。

飛鳥時代

 

聖徳太子に代表される飛鳥時代では、国の政治体制がほぼ完全に整いました。

これにより、朝廷への米、食料等の納税をするために各地から多くの人が都へやってきます。さらに、九州などの軍事力強化のため、資材や人員をより遠くへ運ぶ必要が出てきます。

 

この時代、海外(主に中国、朝鮮)からの輸入も活発化してきました。

鎌倉~江戸時代

 

鎌倉時代から江戸時代にかけてはまさに「戦乱の時代」です。同時期に、商業も活発化しました。

 

 

これにより陸路のみならず、水路での運搬が開拓されます。また、地方都市が発展し、特産品の種類も量も増えました。よって、輸送、運搬は増進していきました。

梱包材の変遷

苞(つと)

わら、草わら、木の葉、竹の皮などでものを包む包装です。もっとも原始的な包装で、日本書紀にも記載があります。

叺(かます)

植物繊維を布状に織ったものを二つ折りにし、左右両端を縄で縫い袋状にしたものです。

俵、籠、土器、須恵器

須恵器とは、古墳時代中期に朝鮮半島から伝わった土器。薄くて硬いため、それまで作られてきた土器の欠点を補うことが出来た。熱には弱いため、貯蔵や食器としての利用が多かった。
(画像リンク:http://www.yunphoto.net)

古墳時代までは箱は木で作った木箱よりも、竹や柳などの柔らかい枝を曲げて編み型を作り、その上から獣皮、布、和紙などを貼り漆を塗って固めたものが主流でした。飛鳥時代になると木の加工が発達し、木箱、桶、曲物が登場し始めます。鎌倉~江戸にかけて樽も誕生し、酒の生産量が増加しました。

古墳時代までは、袋は主に麻製でした。

風呂敷

平安時代になって登場しました。女性は頭に載せて運搬していたそうです。

素材や種類の大きな変化こそありませんでしたが、技術の向上により用途に合わせて強度や形状を変化できるようになっていきました。

まとめ

今回は、縄文時代から開国以前の日本における梱包を見ていきました。

この時代までは「海外の影響をほとんど受けていいない」ということが大きなポイントです。そのため、国内にある技術、素材で梱包されており、縄文時代から江戸時代にかけて大きな変化がなかったのだと考えられます。

しかし、明治期以後、つまり開国後はどうなったのでしょうか。そして、どのような歴史をたどって現在の梱包へと繋がっていったのでしょうか。

 

次のテーマは「開国から現在にかけての「包む」の変遷」です。

参考資料

日本包装技術協会『梱包の歴史』