日本の「包む」の変遷Ⅰでは、縄文以前から開国前までの
日本における梱包の変遷をご紹介しました。

この時期の梱包は、

「日本からのみで調達できる素材で、日本固有の技術をもって梱包していた」
ことが重要なポイントでした。

今回は開国以後の梱包の変遷をご紹介します。

目次

各時代での「梱包・運搬」

明治期

鉄道が開通し、それに伴い車(人、馬車)、船舶も増加しました。開国・文明開化により西欧諸国の運送基準が日本にも浸透し始め、運搬物の損傷に対して厳しくなりました。

よって、大型の木箱による運搬が主流になりました。さらに、帯鋼、缶、金属製箱、ビンも登場し始めます。

また、新たに1909年(明治42年)に段ボール事業が開始し、1913年(大正2年)に製造開始されました。これが日本における段ボールの歴史の始まりであり、現代にもつながる大きな進歩であったと言えます。しかし、当時は軽量雑貨、たばこの内装としての利用がメインで、現在のように外装に利用することはほとんどありませんでした。

終戦直後

敗戦によりアメリカなど欧米諸国の影響を強く受けざるを得なくなりました。終戦後貿易が発達することで、「輸出品取締法」制定され、さらなる品質の改善が必要になりました。

よって、今までの包装に加え、コンテナが出現します。包装の合理化が進みました。

さらに、工業標準化法(JIS)、農林物資規格法(JAS)が制定されます。戦中は東・東南アジアの広い範囲を実行支配していたため、敗戦に伴い国土が縮小します。よって、国土の縮小や日本の再建復興のため、木材を有効活用する必要が出てきました。

これにより、箱の合理化、段ボールの外装普及が進みました。段ボールは木箱に比べ、木材の使用量を抑えることが出来ました。

朝鮮特需期

朝鮮特需(1950~1955)により、近代化、合理化、西欧化がさらに進みます。米軍への輸出品のすべてが軍用包装規格に則る必要があり、厳格な納入検査を受ける必要があったからです。

よって、近代包装技術の習得、包装水準の向上が進みました。

またこのころから、包装には①中身の保護②取り扱いの利便③販売の促進の役割があると認識され始めました。

さらに、大量生産技術が向上したこともあり、天然材料での包装から、紙、プラスチック、金属等の大量生産品での包装が主流になりました。

昭和期

PCB問題などから環境や人体に影響のある素材などが注目されるようになり、包装に対する安心も求められるようになりました。

よって、公正包装、包装の適正化、素材の見直しが進められました。

PCB問題:昭和中期にPCB=ポリ塩化ビフェニールが大量に生産されていたが、人体・環境への悪影響が確認され、昭和49年に製造が禁止された。

平成期~現代

リサイクル、ゴミの減量など、社会全体で環境への負荷を考える流れが出てきます。これに伴い、平成7年に容器包装リサイクル法(正式名称:容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律)が制定され、平成9年から本格施行されました。

これにより、梱包材のさらなる適正化、使用済み梱包材の回収・リサイクルが行われていきました。

また、人々の生活スタイルやニーズの変化により、様々な大きさ・素材の梱包材が使われるようになりました。

まとめ

今回ご紹介した開国以後の日本の梱包は、西欧諸国の基準に準ずる形で技術が大幅に発展していきました。そして、この技術が今でも現在の梱包材を支えています。

現在、日本では様々な梱包材を見ることが出来ます。PostMeもその一つです。

今回の記事を通して、歴史を感じながら梱包材を使用していただけると幸いです。ご一読いただきありがとうございました。

参考資料

日本包装技術協会『梱包の歴史』

環境省「容器包装リサイクル法とは」(2022/05/09)

http://www.env.go.jp/recycle/yoki/a_1_recycle/index.html

環境省「PCB問題について」(2022/05/29)

https://www.env.go.jp/chemi/pcb2/06.html